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日本の正義の所在について

先週末のOULSのシンポジウム「紛争予防マネジメント」。開会の挨拶で間口が広いと言われたように、医学部、理学部、工学部も参加しておられた。第一部「医療紛争の予防と紛争対応について」では日本からは東京女子医科大学病院副院長、アメリカからはNECソリューションズのフーパー氏がそれぞれの取り組みについてご報告。第二部「建設・立地紛争の予防と紛争対応について」、第三部「企業法務における紛争への予防・早期対応について」。病院のスタッフ間、スタッフと患者及びその家族との間のコミュニケーションの重要性が指摘された第一部では会場の医師から、現在の医療費ではコミュニケーションにかかる費用を病院・医師が負担することは無理だとのご意見が出された。第2部は土壌汚染等の未来の不確実なリスク管理についての講演に対し、会場の数学者から、保険でカバーするためのリスクの数値化は可能なのかとのご意見が出された。
総括ディスカッションのご担当は法理学の中山教授だった。教授は、どうして私がこの役目を指定されたのかわからない、と言っておられた。そのときには私も法学部に人手が少ないせいかななどとぼんやり考えていた。

振り返って考えると、医師の患者とのコミュニケーションが大切だと当然のことを説いた第一部ではお金の問題になり、第二部では安全な生活環境を守りたいというごく自然な願いは保険の話になり、またお金の話になった。
何かをしようとするとするとお金がかかるというのはよくわかる。しかし、その切り口だけで本当によいのか。
実は、総括として法理学の教授をもってきたのは、よく考えられた構成ではなかったのか。
法理学とは、正義とは何か、を考える学問である。中山教授のご経歴を聞いていると、米国留学そしてドウオーキンの名前が出ていた。とすると米国流の正義を研究しておられる方である。米国では、何でもお金や数字の問題にしてしまうのが得意であるが、同時に正義についてもまた語られているのである。
中山教授は、正義という切り口から問題を再構成していただくための人選だったのではないのか。

法とは正義の体系であり、法学は正義を考える学問ではないのか。第三部の企業法務の話といい、ロースクールという所では何か大切なもの、というより法学として本質的なものが抜け落ちていないか。我が国では、米国からお金の話(と病気の牛肉?)だけが輸入され、正義は語られないのか。

松浦教授がおられたら、と思う。松浦教授がおられたら、どのように総括なさっただろうか。

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