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高裁判決

晴れ。暖かい。春。
昼休みに通りかかった大阪地裁の北側出入口には人の列。傍聴券を配布するときにはここに人が並ぶことが多いのだけれど、何か大きな事件の裁判でもあるのだろうか。
一体どういう人が並んでいるのか、様子を見てもよくわからない。もしかしたらマスコミに雇われたバイトかも。

昨日の大阪高裁判決。
1審無罪、高裁有罪と正反対の結論。
刑事の高裁は記録を見て、1審の判断の当否を検討すればよいのだから、特に証人や本人を調べる必要もない。記録を見て一審の判断がおかしいと思ったら、変更すればよい。そのための高裁である。
しかし、理屈はともかくなんとなく釈然としない。
同じ記録を見て裁判官の判断が正反対になるだけでも日常的に裁判にかかわっていない人はあれっと思わないだろうか。
人によって受け取り方が違う、という程度のことであれば、後の判断が必ず先の判断より正しいということは、どうして言えるのだろう。
優秀さに差があるというのであれば、1審の裁判官に対する信頼は薄まることになるのだろうか。
しかも、一人の裁判官が異動によって高裁に勤務したり、地裁に勤務したりするのだから、優秀さに差があるということは一概には言えないだろう。
さらに、1審の裁判官は、直接証人がしゃべるのを聞き、その様子を見て判断しているのに対し、高裁では証人の言葉を速記録として、あるいは要約したものとして記載された言葉を読むだけである。ニュアンス、雰囲気は伝わらない。
目の前で話すのを聞いていれば、雰囲気、ニュアンスで言っている言葉を信用できなかったりするが、要約されて活字になっていれば、書かれていることが正しいように思えてくる。
要約しているのは書記官なので、彼又は彼女の論理的な頭で内容を咀嚼して記載するので、よくわからない言い逃れも理路整然とした主張になってしまったりする。

本件の結論がどうという話ではない。
今後裁判員制度において、裁判員が議論の末に有罪にした人を高裁が無罪にする、無罪にした人を有罪にすることがありうる。その場合、裁判員や国民はどう感じるだろうか。

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Comments

>今後裁判員制度において、裁判員が議論の末に有罪にした人を高裁が無罪にする、無罪にした人を有罪にすることがありうる。
>その場合、裁判員や国民はどう感じるだろうか。

わたしはもうちょっと過激なことを考えています。

http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/02/post_e269.html

自白について記事を読んで、法律の構成の点からも自白しないと法律上の結論が明確にならない、ということは理解しましたがこのような考え方自体が日本の文化の根底にある「専門家の判断は尊重する(疑わない)」にあるのだな、と思いました。

裁判員裁判は素人を専門家がやっていたことに参加させるですから、裁判員が裁判官同様な判断能力を持たせることは目標ではありません。

しかし、専門家の世界に素人が入ってきて、というのはわたしの専門である機械業界に当てはめると「どうすれば良いの?」にしかならず、とても大変だと思います。

この点で、高裁などが裁判員裁判ではなく地裁判決(裁判員の判決)を専門家としてひっくり返せるというのはとても重要なことだと考えるようになりました。

意外と奥行きも幅もある問題だな、と今ごろになって感じています。

Posted by: 酔うぞ | 2006.03.08 at 09:08 AM

過去にあった事実について直感的に確実に理解できることなどありえないと思います。
悩んで考え抜いた上でなければ結論などでないはずです。
思いつきで有罪無罪など決められてはたまりません。井戸端会議ではなく強大な国家権力を行使するのです。
一人の人の人生がかかっています。裁判員を簡単な仕事と宣伝している人達には腹がたちます。

Posted by: 悠 | 2006.03.08 at 11:03 AM

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