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表現の自由(東京地裁判決)

晴れ。真夏日。

道路公団の元総裁が文春を名誉毀損で訴えた裁判の判決。東京地裁。
公共の利害に関する公益目的の記事であり、真剣な言論に損害賠償請求は筋違いとのこと。
憲法上の権利である表現の自由に基づいた判決であり、損害賠償請求は筋違い、とまで言い切ったのは小気味よい。

名誉毀損(刑法230条、230条の2)は、公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した行為が、公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない、とされている。
そして、この規準は不法行為としての名誉毀損にも妥当するとされている。

政治的な言論、公益目的の言論が保障されている社会でなくては民主主義など絵に描いた餅以下だ。
絵に描いたもちは絵としては価値があるかもしれないが、公益目的の言論が保障されていない社会が民主主義を標榜するのは国民に対する抑圧をごまかす隠れ蓑であり、有害である。
そういえば独裁制を採用しているお隣がどうして「共和国」なのだろう?

言論には言論というのが原則である。
藤井元総裁も、反論があればなさればよい。
双方から言い分が出されることで、国民のこの問題に対する理解もより深まる。
それこそ憲法が国民に保障しようとしていたことである。
表現の自由が裁判で争われる事案はどこかいかがわしさがつきまとうという印象を抱いていたが、こんなにど真ん中の言論が問題になるのも珍しい。
藤井元総裁は、一体何を証明しようとなさっていたのだろう。
それとも訴訟をすることで言論を萎縮させようとなさったのだろうか。途上国の独裁者並の感覚の持ち主?
結果的には、裁判で再度記事の内容の真実性が確認されただけで、よせばよかったのにという訴訟の典型例となってしまった。


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Comments

    名誉毀損(刑法230条、230条の2)は、
    公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した行為が、
    公共の利害に関する事実に係り、
    かつ、その目的が公益を図ることにあったと
    認める場合には、事実の真否を判断し、
    真実であることの証明があったときは、
    これを罰しない、とされている。

複数の名誉棄損裁判に被告応援団的立場で関わってきました。

その過程で、勉強したことが上記の部分でして

事実であること証明され時には罰しなさい。

という表現は間違っていると思います。

まず、原告が名誉棄損で訴えた場合に、民事であれば被告が出廷しない場合には、原告勝訴になりますね。
そうなると事実の証明とは何か?となります。

この段階での事実とは名誉を毀損する文章の存在の事実であって、内容の真実じゃない、となります。

そこで、内容が真実であるか、公益上必要なことかを証明するのは被告側にあることになって、裁判の実務上は被告になると極めて大変で、今回は(今回も)文春という大手出版社だから勝てたという側面は否定しがたいです。

被告側が証明出来た場合には罰せられない。

というのは大きな問題だと思います。

Posted by: 酔うぞ | 2006.08.02 at 10:44 AM

コメントありがとうございます。仰っていることがよくわからないのですが、「事実であること証明され時には罰しなさい。」とはどこにも記載していません。ブログの記載は、引用しているとおり、刑法230条と230条の2の説明です。

Posted by: 悠 | 2006.08.02 at 06:45 PM

はい、だから実務上の展開の話をしています。

とりあえず、民事で話を進めますね。

まず、原告は「こんな文章がありました」として訴えるわけです。
この段階で被告が「そんな文章は作ってません」となるケースはほとんどありません。
その理由は「公然と」が前提だからどこかに発表されている文章が対象だからでしょう。

つまり、原告にとって名誉を毀損されたと主張する根拠になる証拠はある、ところから始まります。

次に、問題になるであろう事はその文章の記事が原告の名誉を毀損するような内容か?となりますが、普通は裁判にしようというのですから、名誉を起訴するかどうかは未決定であっても、原告から見て不利益をもたらす内容であることは一般に理解出来る内容でしょう。

例えば罵倒句を使うとかですね。

そこらは文章という物的な証拠のレベルで決まってしまいます。
つまり裁判に至るまでに決まってしまう。
そこから、裁判の攻撃・防御の関係がスタートする。ということです。

わたしが直接応援している現在2つの名誉棄損裁判は両方とも被告で、ネット上の批判文章で裁判になっています。
批判される側にとってはもともと有利な話ではないですから、ネット上で反論しないで裁判に訴えることもあるという例そのものです。

こうなると、批判したという事実はあるのですから、批判が名誉棄損に当たらない、と証明されない限り敗訴になる。
その証明を誰がするのか?ということです。

そしてネット上の表現での名誉棄損裁判では、企業が個人HPのオーナーを訴える例が多いのですが、そこでもこの「被告が立証する」が大問題になっているのです。


お書きになっている「事実が立証されたら」とは、原告・被告の双方の言い分の正当性を戦ってということだろうと思いますが、わたしも含めて一般人は「名誉棄損の原告に名誉を毀損され被害が発生した事実の立証を求める」だと理解している人が多いのです。
しかし、この被害の実際についての立証は付け足しで(売り上げが減ったとかですむ)反論する被告側の立証はかなり大変なのが実情です。

つまり、原告被告の争いが原告側にかなり有利に出来ている。
そこで「被告が名誉棄損に当たらないことを立証出来た時に罰せられず、不十分な時には罰せられる」という見解を書きました。

Posted by: 酔うぞ | 2006.08.02 at 08:33 PM

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