月刊大阪弁護士会9月号

晴れ。昨夜の雨からお天気は回復中。

仕事を順に片付けているうちようやく多重に積み重なっていた机の上の一部が解放された。それで、目の前の書類の山がふと気になり、一体何が積み上がっているのだろうと見ると、レターケースの配布物がほとんど。で一番古いものが9月末ころのもの。研修の案内などとっくに日が過ぎているものもある。大半は新人採用の案内と書籍の広告だけど。
と思っていたら、月刊大阪弁護士会の9月号まで出てきた。裏表紙は大運動会の広報・・・。

記事をぱらばら見ていたら、大阪弁護士会市民会議の報告。テーマは対外広報の現状の今後の方策。市民の皆様のお知恵を借りようということなんだろうな。委員の皆様のご意見を見ても特に目新しいものはないけど、「マスコットキャラクターを作る」というのに反対というとても常識的なご意見が複数あり、安堵する。

熱心に読んでしまったのは第58回民事裁判改善に関する懇談会。テーマは和解。出席者は匿名の複数の地裁の裁判官と複数の弁護士。
「紛争が和解で円満に解決する」ということに反対する人はいないと思う。宮沢賢治だって、(訴訟は)つまらないからやめろ、と言うことにしているくらいだもの。
さて、総論は賛成でも各論は、となるから議論が始まる。しかも裁判官と弁護士というスタンスの違う人達が論争をしているからさらにことはややこしくなる。そして裁判官の中でも「地裁の」裁判官という立場が鮮明に出ている。
裁判官からすれば、和解に時間をとるより判決をした方が時間の節約になるし、紛争の解決も早い、が弁護士からすれば控訴審を考えたら一審で和解をした方が全体の解決が早い。と要約するときっと裁判所からは要約が間違っている、自分たちは和解のために努力をしている、という反論が来るだろうな、という懇談内容。
相互に相手のコミュニケーション能力を批判したり、和解できないことの責任を相手の中に見つけたりしたところで、改善方向に向かうのだろうか。
この段落の冒頭に「読んでしまった」と書いたのは、読後に徒労感しか残らなかったためだが、58回もこの懇談会を継続している出席者の皆様の忍耐強さは本当に尊敬に価するし、見習うべきだとは思う。
馬を水飲み場へ連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。それでも馬を水飲み場まで連れて行く・・・。

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朝のひかりを待てるから(アンジェラ・ジョンソン作 池上小湖訳)

晴れ。連日最高気温が30度を超えている。

ニューヨーク育ちの友人から、彼女が翻訳した本をいただいた。
「朝のひかりを待てるから」(アンジェラ・ジョンソン)

読み始めたら止まらず、途中で泣きそうになったけれど、ここで泣いたら最後まで読めないと泣くのを断念して先に進み、フェザーをしっかりと抱いたボブと一緒にヘブンで長距離バスから降りてようやく現実に戻った。

様々な場面が脳裏を横切るけれど、この話を言葉でどう表現してよいのかわからない。

10代で子どもができた高校生カップルの話?
妊娠中の危険と大変さ?
育児にかかる負担と甘く誇らしい気分?
尊厳と責任?
友情、親達の困惑、養子縁組システム。
大人になるということ。
親になるということ。

最後に16歳の少年は住み慣れた街と両親から離れ、娘をしっかりと抱いて(育児用品のつまったバックを持って)長距離バスから降り立つ。草が蒼く茂っていい匂いのする、町外れの牧場を馬が駆け回る、大きな窓の自動車修理工場にくっついたアパートのある町に。

ゲームセンターにたむろする同年代の少年たちを見ると損をした気分がする。
少しでよいから赤ちゃんから離れて自由に遊びたい。
誰かに無性に甘えたくなる。
ただ、ただ眠い。
秋からの大学はどうするの?せっかく16歳で高校を卒業できたのに。
庭にブランコがあり大きな犬を飼っているにこにこした人達にもらわれたら赤ちゃんは幸せになるのだろうか?

そんなに抱いてばかりいたら、この子が歩けるようになったらあなたから離れなくなるわよって、おどしになっていないよな。


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Aiが拓く新しい医療(海堂尊)

曇り。昨夜の風雨でも桜はまだ残っている。

『死因不明社会』(海堂 尊)

検察修習で、司法解剖と行政解剖があると教えてもらったとき、どういう違いがあるのかよくわからなかった。
弁護士になって医療事故相談に関する手引書を読むと、間に合うようなら相談者に解剖をするようアドバイスをすること、と書いてあった。
ここで言う解剖が司法解剖や行政解剖と違うことはわかるが、それらとの関係はわからなかった。

本書を読んで初めて司法解剖、行政解剖、病理解剖の制度がどのように構築されているのかがわかった、と同時に、どうしてわかりにくかったのかがわかった。
解剖写真は好きではないし、解剖に関する解説書なんてできれば読みたくないと思っていたが、本書は非常に読みやすい。
そして読み進めるうちに、著者の主張する、死亡時検索制度は日本に必要である、との思いに至る。それも切実に。
死亡時検索制度は必要だ。
医者のためにも国民のためにも。

医療事故相談に当たっていると、高齢のご親族が長期入院中に亡くなられたという相談がままある。
ある相談者は粗略に扱われていたと怒り、ある相談者は何か病院に落ち度はないかと相談される。
どう考えても、幸福な末期医療の姿ではない。
医師の友人は、弁護士がどんどん増えているようだが、そのうち根拠のない、いいがかりのような医療訴訟が起きるようになったらどうしよう、と心配する。
忙しい医師にとって、たとえ理由がない請求でも、訴訟に巻き込まれることは迷惑このうえない。
だからと言っていくらか金を払ってそんな訴訟を終わらせようなんて考えたら、それ以後モンスターたちの食い物にされることは容易に想像できるだろう。

著者は、死亡時医学検索がなされなければ、医療機関は末期患者をどのように扱ってもばれる心配がない、心配がなければ手を抜く可能性があると指摘し、また、死亡時医学検索がなされなければ死因が特定できず、医療事故として訴訟になっても水掛け論になる、と主張する。

よりよい医療を確保し、そのような医療を提供する医師を守ることは、国民にとって非常に大きな利益だ。
もっとも、医療事故に限定したこのような言い方は、著者が嫌うところではある。

ともあれ、ロジカルモンスター白鳥室長が展開する小気味のよいロジックを一人でも多くの人に読んでいただきたい。
無知は罪だ。
と著者は声高に主張するのだから。


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温室効果ガス判決(NBL873本田論文)

曇り。寒い。温暖化が怖いので、寒くなってよかったという思いがする。なんだか変。

NBLの1月15日号に、温室効果ガス排出規制に関する米国最高裁判決の紹介文が掲載されている。
原告はマサチューセッツ州、カリフォルニア州、コネティカット州、イリノイ州等11の州と4自治体、13の私的団体、被告はアメリカ環境保護庁。
新車からの温室効果ガスの排出を規制する義務の有無が争われていたとのこと。

州や自治体が原告となって、国に規制をするよう求める裁判をするということにまず驚いてしまう。
日本では考えられない。大阪府と京都府と兵庫県が一緒になって国に対して温室効果ガスの規制をするよう求めるだろうか?

原告適格の争点で、海面上昇により州が財産的な損害を被っており、今後も被り続けるおそれがある、という主張を読むと、温暖化は将来の話ではなく、今そこにある危機だということがわかる。
?ところで合衆国はあれだけ温暖化に無神経だったのにどうして今度はこんな展開になっているのだろう?

沈みつつある船に乗っているときに、アメリカの新車を規制してもたいしたことはない、中国やインドでどんどん排出されているじゃないか、なんて議論をしても仕方がないだろう。それぞれができることからするしかないと思う。

合衆国の最高裁は、新車からの排出が温暖化に寄与していないこと、または排出の規制を行わないことについて合理的な理由を示さない限り、規制しなければならない、と判示したとのこと。
翻って我が日本政府は、洞爺湖サミットでどういう態度をとってくれるのだろう。

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説明義務・情報提供義務と自己決定(潮見論文)

晴れ。気温は低いようだが、日差しがよいので冷たい風が心地よい。
大阪商工会議所女性会の新年会に参加。どんな雰囲気かとおそるおそる出かけたが、元気のよいしっかり者の女性の集まりといった雰囲気。
アトラクションは伍・芳(ウー・ファン)氏の古箏の演奏。
装飾のついた美しい箏がどのような音を出すのかと見つめていたら、予想外に力強い響きだったのに驚いたが、大阪商工会議所の女性会もそんな感じだと妙に納得。
美しく力強い音色が素晴らしかったので、事務所に戻って早速CDを注文した。
新年会には太田大阪府知事も来られて新年の挨拶をしていらっしゃった。
8年間の功績がおありだろうに、講演料で政治と金と言われて追い出されたようになったのが少しお気の毒な気がする。まして、その後に自民党の府会議員さんたちが担ぎ出したのが芸があるのかないのかよくわからないようなタレントではねえ。

3連休中に潮見教授の2005年の「説明義務・情報提供義務と自己決定」(判タ1178号)を読む。
同論文は、交渉力の格差があることから直ちに情報提供義務を正当化できるわけではないとして、憲法や新自由主義をその根拠とする理論を解説する。
学者は理論に命をかけているだろうが、適合性原則違反などを裁判で主張する立場から言えば、憲法から説き起こす説と新自由主義から説き起こす説を知っていても知らなくても、使い勝手に違いはない。だから、教養というか、どうしてこんな主張ができるのだろうかとふと疑問に思ったときに、自分自身に対して説明ができるというか、私にとってはその程度の意味なんだと思う。

読んでいるうちに、学生時代にゼミで、おばあさんが冬にガソリンスタンドにポリタンクを持ってきて、「ガソリン」と注文し、ガソリンをタンクに入れて渡したところ、後日おばあさんが自宅のストーブにガソリンを入れて火をつけたために家事になった場合、ガソリンスタンドに責任はあるか、と教授が質問されたことを思いだした。
4年生以上は民法の意思表示の条文などを根拠にしてそれぞれ答えていたが、3年生の一人が、どうしてガソリンスタンドの従業員は、おばあちゃん、「何に使うの」と尋ねてあげなかったのだろうかと言った。
意表をつかれた思いがした。
民法の意思表示の解釈以前に、状況からしてガソリンというのはおかしい、灯油の間違いでないだろうかと、普通は思うだろう。それなら一言聞いてあげるのが社会人としての常識的な態度ではないだろうか。

弁護士の立場からすれば、常識を理由に適合性原則違反を主張すれば足りる。それを「社会人の常識(良識)」ですまさず、憲法上の権利や哲学的思想によって理論付けをするのが学者の仕事なのだろう。

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NBL872号特集

晴れ。昨日とうって変わって暖かい。

年末年始の読み物にNBL872号(1月1日号)を持ち帰っていたけれど、特集の「2008年企業を取り巻く法的課題」が36名の執筆者からなる一口話のようで、いずれも問題提起で終わっていてなんだか物足りない。

その中でも、これはおもしろいな、というのが、ソフトウエア開発契約の実態をよく見てほしいとの「偽装請負というけれど・・・・・」(川上氏ニフティ)、特定商取引法の定める特定継続的役務提供契約を中途解約するときの清算で大量購入者を優遇する方法を論じた「特定商取引における消費者と企業」(池田教授北大)、それに「説明責任と消費者利益」(香月弁護士)。

以前金融商品取引法の勉強会で、金融商品なんて説明されても目論見書を読んでも理解なんてできない、と言うと、勉強会参加者から不思議そうな目で見られた。だから、「一つだけ気になることがある。それは、金商法や金融商品販売法が適合性の原則と説明義務の範囲を拡大しつつ、顧客の理解を求める厳格な対応を金融機関に義務づけているとすれば、現実に投資適格のある顧客がどの程度存在し得るのかという疑問である」との香月先生の一文に接したときに、同じように感じている人がいる、と嬉しくなった。

しかし、こんなことを正面から認めたら、不適格者が取引をしているのが常識となって、不適格者を勧誘した(から違法な勧誘だ)と裁判で主張しても、だからどうなんだ、たいていの人はそうじゃないか、という裁判所の反応が返ってきそうな気がする、というか、今でもそんな気配があるように思うのだけど・・・?

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狂牛病が問いかけたもの(福岡伸一教授)

雨になるのかと思っていたら、曇ったり晴れたり。気温は下がっている。
憲法ミュージカル2008実行委員会からオーディションの応募用紙が届いた。
弁護士28人が呼びかけ人となっているが、知った名前が数名。歌って踊れて芝居もできる弁護士集団・・・パワフルだなあ。。。

消費者問題ニュース120号。夏期消費者セミナー報告「狂牛病が問いかけたもの」福岡伸一(青山学院大学理工学部教授・農学博士)。
久々に胸のすくような正論を読んだ。
狂牛病が世界へ広がったプロセス、日本の現状、アメリカとの比較、今後、食の安全・安心を守るための視点という構成で、狂牛病が人為的原因で発生したものであること、感染ルートが十分解明されていないこと、日本の狂牛病の汚染源は代用乳が怪しいと言われているが、農水省が関連を認めていないこと、日本の狂牛病対策は世界的に見ても非常に厳しい水準で行われており、国産の牛肉であれば安心して食べることのできる状態であること、日本の対策のどれひとつアメリカでは満足に行われておらず、肉骨粉の使用も続けられていることが解説されている。
そして、原則論を言えば、アメリカが日本と同程度の安全施策を実施したのであれば輸入を再開してもよいとなるはずが、現実には日本の検査態勢を見直させて一部全頭検査を緩和させることで輸入を再開したように見えるとされている。
安全のための視点として、教授は、食の問題に単純化されたリスク論を持ち込むのは危ういこと、狂牛病は予見不可能なものでも、回避不可能なものでもないこと、原因は人災の連鎖であることを掲げ、これに対する反論としての消費者の選択の自由論に対しては、それが成り立つのは選択肢の内容がすべて明示されている場合だけであるが、現在、食のプロセスは明示されていないことを指摘される。
また、プロセス明示化の対価は消費者が支払うべきものであり、食べ物を選ぶときに、1円でも安いものを選ぼうとする消費行動自体も省みる必要があるのではないかとされる。
例として、「健康おたくの街」アメリカのボルダー市で人気のコールマンフーズ社の取り組みを紹介されている。それによれば、牛に動物性の飼料を与えず、草食動物として正しく育て、牛肉の値段は単位重量あたり10%から25%高いとのことである。

金がなければ牛肉を食べるなと言うことかと反論されそうだが、金がなければ狂牛病にかかってのたれ死ねという我が国の政府の態度の方がよほど冷たいと私は思う。牛肉を多量に食べなくても死なないが、狂牛病にかかれば悲惨な症状の末に死に至るのである。
それでも政府が米国産牛肉を食べたいという人のために輸入するなら、決して国産と混ざらない、表示が適正になされるような方策を確保しなければ、騙されて米国産牛肉を食べさせられて発症したし人から訴訟を提起されることになるだろう。
間違っても子ども達の給食には使われたくないものである。
それから、自衛隊員の給食に使うのもやめてあげてね。外務省と農水省の食堂で出すというのならご自由にどうぞ。


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NBL859(環状取引)

晴れ。障害物競走を少しお休みして、たまっている普通の業務をこなすことにする。
とその矢先に今度は普通の業務に関してお騒がせな審判書が届いたりする。
どうしてわざわざ事態をややこしくしたがるのかなあ。

市役所の差押えの件は、電話して担当者に国税徴収法79条が、と言うと、魔法のように対応が変わった。言葉使いどころか、声のトーンまで変わった・・・・。
さすが日本国の公務員。

NBL859に環状取引に関する考察が載っていたので、興味深く読ませていただいた。
環状取引と主張したところで、支払い義務を免れるわけではないだろうと思っていたら、環状取引であることを知らなかったと主張してそれが通れば、救済される余地があると書いてある。
債務不履行による解除(大阪地裁平成8年)、錯誤無効(大阪地裁平成14年)とのこと。
知っていたからといって救済されないが、知らなかったら救済されるのか・・。
しかし、商品の移動がなく伝票上でだけ動いていたことは当事者ならわかっていただろうし、どういう取引なのが契約前に確認するのではないだろうか。
マージンをとらせてあげるから名前を貸してといわれたらうさんくさいと思うだろうし。
よほど騙されて取引に入ったか、裁判官が他人の言うことを信用しやすい方だったのか。


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大阪高裁での無罪事件の報告書を読んで

曇り。窓を開けると風が心地よいが、御堂筋の騒音も一緒に入ってくる。悩ましいところ。

青法協の大阪支部ニュース297号にO先生が大阪高裁で無罪を勝ち取った報告が記載されている。
捜査は大阪地検特捜部。
詐欺の事案で、「自白の押しつけの典型」(大阪高裁)だそうで、この報告書を読むと、大阪地検特捜部は何をしていたのか、というのと、大阪地裁の裁判官は何を考えていたのか、というのが不思議。

友人から借金の申し込みを受けた会社の取締役が自分の会社の小切手を持ち出して友人に渡し、会社に必要だからと契約書を書かせたという事案。
確かに小切手を受け取った方も、何かおかしいと思わなかったのかとは思うが、その後、小切手を受け取った人が詐欺で起訴され、小切手を持ち出して渡した当の取締役が証人として出廷し、被告人に騙されて契約書を作成させられたと証言したらしい。
なお、証言の内容は不合理で、社長の説明とも食い違っていたとのこと。

裁判所は若い裁判官たちに、思い切って判決しろ、間違いは高裁で訂正する、と言っているとどこかで読んだが、それにしても思い切って有罪にねえ。
裁判所の指導の意図するところは逆じゃないのかと思う。有罪との心証がとりきれなければ無罪判決を出したらよいということじゃないのだろうか?
無罪を出したら将来に障るんじゃないかとか、大阪地検の特捜部との関係を悪くしたくないとか、余計な考慮が裁判官の脳裏をよぎったなどとは考えたくないけれど。


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生駒市長さん

晴れ。初夏の陽気。

先日生駒市長の山下さんのことを思い出していたら、今月号の「自由と正義」のエッセイは山下市長だった。
報道されている限りでは、ややこしい議会議長なんかがいて、今までのご苦労は大変だっただろうし、現状だってとても大変だと思う。
でもエッセイは明るく、市長職のやりがい、地方自治への希望などが語られている。報道されていることを知らなければ、泥沼のようになっている市政の立て直し中だなんてわからない。
公人であることからのプライバシーのなさや、土日も挨拶や講演、会議などで丸一日休めない、理屈の通じない金と権力の世界で説得を続ける徒労感などが書いてあるが、その反面、やりがいの大きさ、政治の力が市民を幸福にすることへの希望が語られている。

昔、同じようなことを言った市長さんがいたのを思い出した。
メリルリンチのエグゼクティブだった山陰地方の市長さんだったと思う。証券会社にいたときには1日に目の前を通り過ぎる金額が市の年間予算とほぼ同じだ、だけど、その数字の持つ意味は全く違う。市の予算は、市民を幸福にするための金だ、というような内容だった。

政治が夢や理想を語らなくて誰が語るんだって感じの心意気。日本全国の市長さんがんばれ。

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